今日のみ言葉【No.1533】(2017年 5月19日) 083 「イエスを否認したペテロ」(2)
すると、この門番の女がペテロに言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」。ペテロは「いや、そうではない」と答えた。
(ヨハネ18:17)
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コメディアンの萩本欽一さんの本に、「ウソがバレるほどでかいウソをつけ」という名言があります(「『笑』ほど素敵な商売はない」,福武文庫 より)。
常識的にはウソをつくことはいけないことですが、それがバレる程度のウソであり、しかも常識外れのでっかいウソならばかえって安心して笑えます。
さすが笑いの達人。
当たり障りのない小さな笑いでなく、お客さんからバカ受けの笑いを引き出そうとする視線が見えてきます。
これに対して、自分を守るために中途半端な嘘をつき続けたのがペテロでした。
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イエス様が捕らえられた時、他の弟子たちは逃げ去ってしまいましたが、ペテロとヨハネは引き返しました。
何はともあれ逃げないでついて行ったペテロの行動から、イエス様に対する忠実な気持ちが読みとれます。
しかし、彼の心の中は嵐の中の小舟のように揺れ動いていました。
ヨハネは大祭司の家の中庭に入って行けました。
「この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった」
(ヨハネ18:15)
ペテロはどうであったかというと、
「ペテロは外で戸口に立っていた」
(ヨハネ18:16)
とあります。彼は中に入るのを躊躇していたのです。
無理もありません。
「お前はイエス一味の者だな!」と捕らえられるかもしれない状況だったことは想像がつきます。
ところが、実際は逮捕される危険性は薄かったのです。
「すると大祭司の知り合いであるその弟子が、外に出て行って門番の女に話し、ペテロを内に入れてやった」
(ヨハネ18:16)
とあります。
門番は女でした。これは警備などというものではありません。
しかもヨハネは顔見知りだったので容易に入ることができ、彼の手引でペテロもすんなり中庭に入ることができました。
現実には逮捕される危険はなかったにもかかわらず、ペテロの心の中の風景は、自分は追い込まれて捕らえられてしまう、というものでした。
思い込みと言ってもいいでしょう。
その思い込みが、次に続く何気ない言葉を「責め」と感じさせたのです。
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「すると、この門番の女がペテロに言った、『あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか』。ペテロは『いや、そうではない』と答えた」
(ヨハネ18:17)
前後の状況から察すると、彼女の言葉は「あら、あなたもヨハネさんと同じ、あのイエスという人のお弟子さんじゃないの?」という極めて日常的会話だったと考えられます。
この問いかけに対して、彼は素直に「はい」と言えませんでした。
「おい、お前、あのイエスという者の弟子だろう?白状しろ!」と尋問されているように感じたのでしょう。
実際は全くそうではありません。
しかし、彼の心の中の風景が現実を歪めて見させていました。
つい数時間前に大見得を切って言った
「主よ、なぜ、今あなたについて行くことができないのですか。あなたのためには、命も捨てます」
(ヨハネ13:37)
という言葉は一体何だったのでしょう?
彼はそれとは全く裏腹な態度をとってしまいました。
その後の彼の行動は、
「僕や下役どもは、寒い時であったので、炭火をおこし、そこに立ってあたっていた。ペテロもまた彼らに交じり、立ってあたっていた」
(ヨハネ18:18)
というものでした。
素知らぬ顔をして僕や下役共と一緒に暖をとっていたのです。
「ここにいていいのか、逃げることもしたくない、しかしずっといたら危険かもしれない」
「ああ寒い、でもこの炭火は暖かい」
現実も自分も直視できないペテロは、宙ぶらりんの中途半端な状態で、流されるまま夢のように時を過ごしていたのでしょう。
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人間の愛とはこのようなものなのです。
時に燃え上がり、次の瞬間に消え去る「かりそめの愛」なのです。
相手のために捧げ尽くしたいと思いながら、自分可愛さのあまり相手を裏切ってしまい、それでも行きつ戻りつ、未練がましく生きる存在。
それが人間なのです。
そのようなペテロは、イエス様からずっと愛され、愛され続けていました。
彼はそれに気づきません。
自分が愛を得るくらいの価値ある行動をしていたら愛される、と思っていたからです。
彼の愛される基準は自分の行動の出来不出来でした。
ここに海の波のように揺れる人間の存在の基盤の脆さがあります。
神の愛はアガペーの愛です。
一方通行で神の側から愛し続け、無価値なものをも愛する愛です。
人間がどうあろうと、神の御心を成しても成さなくても、神の愛に変わりはありません。
この不変の愛に出会い、確固たる存在の土台を得るためには、ペテロのように自分の愛と生き方の不完全さに気がつき、それを全く手放さなければなりません。
炭火の前で何も考えられないでいるペテロは私たちの姿です。
ここを通り越して、私たちは次の段階へと導かれていくのです。
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変わらない神の愛に出会う前に、自分の中途半端生き方に気づかされます。
その時も変わらずに愛されていることを思い、今日の生きる力を得て参りましょう。
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