今日のみ言葉【No.1376】(2016年 9月27日) 032 「ペテロ(ピリポ・カイザリヤの告白)」(1)
「人々は人の子をだれと言っているか」
(マタイ16:13)
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芸能人の好感度ランキングで常に上位にいるのが明石家さんまさんです。
ロケ先でも移動中でも、ファンのお願いに答えてサインをしたり、一緒に写真をと頼まれれば、
「ええで!」
と快く受ける姿があちこちで報告されています。
無理して好かれようとしての努力でしょうか?
いいえ、本人曰く、
「しんどいねん、断るの」
これが理由です。
自分がどう思われるかとは関係なく、ファンを大事にするという建前からでもありません。
この本心からの率直さがさんまさんの魅力なのかもしれません。
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イエス様はご自分のことが何と言われているか、と弟子たちに問われました。
「人々は人の子をだれと言っているか」
(マタイ16:13)
自分に対する評判や好感度が気になっていたからでしょうか?
そうではないことは明らかです。
このように質問することによって、
「私はそうは思いませんが、皆さんこう言っています」
と言う弟子たちの報告を聞いて、弟子たち自身がイエス様に対して持っているイメージをお知りになるためだったのでしょう。
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人々は、イエス様のことを色々な人にたとえて言っていました。
・バプテスマのヨハネ
・エリヤ
・エレミヤ
これらの人々は、際だった個性の持ち主であり、同じような性格の人々ではありませんでした。
このように、人々のイエス様への評価が異なっていたということは、イエス様の人間性の豊かさをあらわしています。
と同時に、人々のイエス様に対する印象がバラバラだったということは、イエス・キリストという人物の全体像を人々はつかんでいなかったということを表します。
つまり、自分の目に映るイエス・キリストは、ほんの一部だということです。
なぜそのようになるのでしょうか?
人の目や耳は、自分の見たいものを見ようとし、聞きたいことを聞こうとする選択性があるからです。
お金儲けをしようとする人には儲かる話がよく聞こえ、旅行に行きたい人はリゾート地のポスターが目に止まります。
「○○はどこか?」と尋ねても、全く同じ場所なのに、男性は外車販売会社の近くだと言い、女性はケーキ屋さんの近くだと言います。
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「自己実現」というフィルターを通して見るのが人間です。
ペテロを代表とする弟子たちもそうでした。
自分を最高に生きるためには、イエス様について行けば何とかなる。
そう考え、自分の人生を最高に活かしてくれる存在としてイエス様を選びました。
しかし、このピリポ・カイザリヤでの出来事を境にして、イエス様は「自己実現」の道から「自己犠牲」の道へと弟子たちを導いていきます。
自分が生きるのではなく、自分が一粒の麦となって死に、多くの人を生かす人生の方向を指し示されたのです。
途端に理解できなくなる弟子たちから離れることなく、イエス様はずっと共にいて下さいます。
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どのような印象でイエス・キリストを見てもよいのです。
どの入り口からでも入って良しとされるイエス様は、今日も私たちを神の道へとやさしく導いて下さいます。
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