今日のみ言葉【No.1362】(2016年 8月31日) 027 「イエスに養われた五千人」(2)
飼う者のない羊のようなその有様を深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた。
(マルコ6:34)
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「どうしたらいいでしょう?」と相談されると、私たちはすぐに「こうしたら?」と解決策を提示します。
しかし、昭和40年から続くラジオの長寿番組「テレフォン人生相談」で長年パーソナリティーを務めた加藤諦三氏は、
「生きることに疲れた人に事態を改善する具体的提案をするのは、相手をもっと追い込むことになる」
と述べています(加藤諦三著,『心の休ませ方』,PHP研究所)。
電話をしてくる人は、悩みの相談という形を取っていますが、実はそうではありません。
心の底で本当に求めているのは、「私の辛い気持ちをわかって…」ということです。
人は答えを求めて来るのではありません。
問題解決は二の次三の次。
最初に求めているのは、わかってもらうことなのです。
わかってもらった、という実感を得た後、その人の心は自分の問題を解決する答えを受け入れようとする心となります。
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イエス・キリストは、飼う者のない羊のような群衆に対して、
「なぜこのような状況になったか、原因を探して、それを解決しましょう」
とは言いませんでした。
まずなさったことは、「その有様を深くあわれんで」ということです。
イエス様は、今のあなたがどんな原因で窮地に追い込まれているかを問いません。
「あなたのせいでこうなった」とも、「心当たりはないか?」などとも問われません。
何も言わずに群集を深くあわれまれたように、その心に深く共感し、わかって下さる御方なのです。
キリストの憐れみとは、「可哀想に…」という上から下への目線ではありません。
相手と同じ立場に立ち、相手の重荷を自分の重荷として一緒にその苦しみを感じる態度なのです。
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私はカウンセリング場面に携わる者の一人として、この「共感性」を第一のこととし、毎回肝に銘じます。
そうでないと、「支配」してしまうからです。
支配とは自分の思い通りに相手を動かすことです。
援助する側が陥りやすい「支配」とは、「良かれと思って…」というものです。
相手のために良いことをしてあげよう、問題を解決してあげよう…。
これらは動機は良いのですが、油断すると「操作」や「コントロール」になります。
人は支配されると抵抗します。
具体的にはあなたのアドバイスに従わず、今までどおりの行動を続ける、ということです。
そのような時、私は
「ああ、共感をすっ飛ばして、問題解決の方向に走ってしまったなあ」
と反省し、相手を直すのではなく、自分を直すよう努めます。
もう一度共感から入り直すのです。
なかなかイエス様のように
「深くあわれんで、いろいろと教えはじめられた」
(マルコ6:34)
という順番では進みませんが、その私とイエス様は今日も会ってくださるのだと信じて、自分をゆるし、またやり直すのです。
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イエス様は深いあわれみをもってあなたと会って下さり、あなたを励まそうとしておられます。
キリストのあわれみを一身に受けて、今日も新たな一歩を進めて参りましょう。
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