今日のみ言葉【No.1359】(2016年 8月27日) 026 「イエスの郷里ナザレの人々」(2)
イエスは言われた、「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」。
(マルコ6:4)
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「あなたが犬ならどのタイプ?」というのをやってみました。
5つの質問に答えていった先で、どんなわんこになるのか興味津々です。
結果、私は「温和で優しいパグ」なのだそうです。
「ふ〜ん、こんな顔で見られているのか…」
と妙な気分になりましたが、自分が意識する「私」と、人が見る「私」には開きがあるものです。
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イエス様の郷里ナザレの人々にとって、「イエスは貧しい大工ヨセフの子」として見られていました。
日本で大工の棟梁といえば、職人として人々から尊敬され、一目置かれる存在です。
しかし聖書の時代、「大工」は石工や金工も表し、一般的にはどんな小さな仕事も請け負う、便利屋・細工師・技術屋をさしました。
更に言えば、人々から尊敬されるどころか、むしろ下層階級として見られていたふしがあります。
人は自分の持っている過去の知識や目で見える「うわべ」で人を判断しがちです。
「この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」
(マルコ6:3)
ですから、イエス様はこう言われました。
「預言者は、自分の郷里、親族、家以外では、どこででも敬われないことはない」
(マルコ6:4)
イエス様の言葉と行いをありのまま受け入れたら、そこには尊敬以外出て来ないはずです。
ナザレの人々はイエス様を正しくとらえることに失敗しました。
目の前にずーっといたのに、真のイエス様に出会えなかったのです。
虚心坦懐に、ありのままのキリストの姿を追い求めたいものです。
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映画「ふうけもん」(中村雅俊主演)のモデルとなった、元祖便利屋の右近勝吉(うこんかつよし)さんとロサンゼルスでご一緒したことがあります。
私は安全上、誰が乗ってくるかわからないバスや電車に乗ることは一回もありませんでしたが、右近さんはカタコトの英語で、何のこともなく自由自在に乗り回していました。
彼はどこへ行くにも作業服を着て行きます。
社長さんから呼ばれて会いに行く時も、講演を頼まれて壇上で着ていくのも、全て作業服で通すそうです。
彼は言います。
「作業服でダメだ、というところには、頼まれても行きません」
つまり、外見や服装で人を判断するところには行かない、ということです。
そういう人には、そういう人が出会うようです。
「うちの奥さん、東大卒だったよ。結婚して初めてわかった。アッハッハ!」
と何の他意もなく豪快に笑う右近さん。
本物には、本物を求める人が引かれてくるのだな、と思ったひとときでした。
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ありのままのイエス様の姿を求める今日として参りましょう。
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