今日のみ言葉【No.1292】(2016年 5月25日) 003 「シメオン」(3)
主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます、わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
(ルカ2:29-30)
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老人シメオンは
「主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはない」
(ルカ2:26)
との示しを聖霊から受けていました。
そして今やその救い主に出会ったのです。
ですから、
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます」
(ルカ2:29)
と感嘆の声を挙げました。
彼が生きるために味わった様々な苦しみは報われました。
彼の人生の目的は果たされたのです。
もうこれでいつ死んでもいい、という幸福感にシメオンは満たされ、彼はヨセフ一家を祝福します。
イエス様に出会った人の人生は、祝福を与える人生へと成って行くのです。
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あなたはシメオンのように、
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりにこの僕を安らかに去らせてくださいます」
(ルカ2:29)
と言えるのはいつでしょうか?
つまり、何を見たら満足して死ねるか、ということです。
シメオンの場合は、
「わたしの目が今あなたの救を見たのですから。」
(ルカ2:30)
と、神の救いを見たので満足し、いつ天国に行っても構わない、という心境に至りました。
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私も同じようなもので、
「私を通して誰か一人でもイエス様を信じて救われたら、それで私がこの世に生まれてきた意味があったということだ。救われる人が一人でも出たら、もうそれで人生の目的は十分果たしたことになる。」
と思っています。
そしてイエス様を信じてクリスチャンになる人が現れました。
ですから、私の人生はいつ終わってもいいのです。
今私が生きている人生は、「余生」のようなものです。おまけの人生です。
とは言っても、毎年健康診断は受けていますし、インフルエンザの予防接種は今年も忘れずに受けようと思っています。
この生きている時間は、自分のために生きるのではなく、シメオンがヨセフ一家を祝福したように、どなたかを祝福するための時間だと思って生きています。
すべての人が私と同じ考えを持つわけではありませんが、イエス様の救いに出会った一人の人間の人生観として受け取っていただければ幸いです。
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あなたは何を見たら満足して死ねますか?
この究極の質問を心に抱きつつ、今日の一日を神との交わりの中に過ごして参りましょう。
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