今日のみ言葉【No.1075】(2015年 7月 1日)
わがしもべヤコブよ、わたしが選んだエシュルンよ、恐れるな。
(イザヤ44:1)
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私が生まれ育った米沢の方言です。
(1)がおる
(2)もごさい
(3)赤ぴっぴ
(1)の「がおる」は「元気がない」「具合が悪い」という意味です。
「あの人は元気がなかった」は「あいづ、がおってだー」と言います。
(2)の「もごさい」は「かわいそう」という意味です。
「かわいそうで、私はとてもその場にいられなかった」は「もごさくて、もごさくて、おら、そごさいらんねがった」と発音します。
(3)の「赤ぴっぴ」は「生まれたばかりの鳥の雛」のことです。
まだ羽毛が生えないちょっとグロテスクな状態ですが、「赤ぴっぴ」という愛称に変わると何となく可愛い感じがします。
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「エシュルン」とは神がイスラエルを呼ぶ時の愛称で、その語源は、ヘブル語「ヤーシャル(יָשַׁר)」(真っ直ぐにするの意)から来ています。
「ヤコブ」は「押しのける者」という意ですから、イスラエルの現実に即していますが、エシュルンはいかになんでも言い過ぎの感がします。
しかし神はイスラエルを「真っ直ぐな者」「正しい者」として見て下さるのです。
それは、
「あなたを造り、あなたを胎内に形造り、あなたを助ける主」
(イザヤ44:2)
だからこそです。
イスラエルを創造された主は、
「わが霊をあなたの子らにそそぎ、わが恵みをあなたの子孫に与える」
(イザヤ44:3)
ことによって、真っ直ぐな者(エシュルン)へと変えてくださいます。
そしてこのことは、イエス・キリストの到来と聖霊降臨によって、キリストを自分の罪からの救い主と信じる者全てに適用される約束として成就しています。
神は霊を注ぐことによって人を変えて下さるのです。
そして変えられる前から、変わった後の姿を見て、私たちを「エシュルン」と呼んでいて下さるのです。
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私は福島県の川俣教会でのご奉仕で成長させていただいたと思っています。
20代の若造が月1回の礼拝説教をさせたいただいたわけですが、毎回、しどろもどろの説教でした。
ですから、本当なら、
「あの聖書解釈では根拠が乏しい。ここも論理がつながらない」
とダメ出しをされて当然なのです。
しかし、牧師先生初め、教会員の方々が、
「大変素晴らしい説教をありがとうございました」
「今日の御言葉によって教えられました」
と礼拝後、必ず言ってこられるので、私は本当に穴があったら入りたい思いでした。
謙遜に御言葉を聞こうとするその姿勢。
経験が乏しい不十分な人間を見ず、そこに神を見る信仰の目。
この方々の祈りと霊的態度によって「赤ぴっぴ」の私は育てられ、今があるのだと思います。
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人は祈りによって霊的に育てられます。
神の霊の注ぎを求める一日として参りましょう。
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