今日のみ言葉【No.847】(2014年 6月13日)

ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、
(詩篇17:8)

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詩篇第17篇の背景には、マオンの荒野に逃れたダビデがサウルの追跡を紙一重でかわした出来事があります。

「サウルは山のこちら側を行き、ダビデとその従者たちとは山のむこう側を行った。」
(サムエル記上23:26)

無実の人ダビデが不当な追求をサウルから受ける中、神に率直に救出を求めた祈りがこの詩篇第17篇です。

そしてその中心部分が、

「ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、」
(詩篇17:8)

なのです。

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申命記32:10-12には、かつてイスラエルの民が荒野で放浪していた時、神がこのように守ってくださったことが書いてあります。

「主はこれを荒野の地で見いだし、獣のほえる荒れ地で会い、これを巡り囲んでいたわり、目のひとみのように守られた。」

「わしがその巣のひなを呼び起し、その子の上に舞いかけり、その羽をひろげて彼らをのせ、そのつばさの上にこれを負うように、」

「主はただひとりで彼を導かれて、ほかの神々はあずからなかった。」

ですから今日の聖句の

「ひとみのようにわたしを守り、みつばさの陰にわたしを隠し、」
(詩篇17:8)

はロマンチックな表現でもなんでもありません。

切実な神への求めなのです。

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切実だからこそ真実です。

そこには何の飾りもありません。

シンプルな求めが神を動かします。

単純率直な祈りが一番良いのです。

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イエス様も、

「祈る場合、異邦人のように、くどくどと祈るな。」
(マタイ6:7)

と教えています。

それは、

「彼らは言葉かずが多ければ、聞きいれられるものと思っている」
(マタイ6:7)

からです。

祈りの熱心さを言葉の多さで表そうとし、人間が神を説得できると思う愚をイエス様は見抜いておられます。

神はむしろ人間の祈りを心待ちにし、与えようとしておられるのです。

「あなたがたの父なる神は、求めない先から、あなたがたに必要なものはご存じなのである。」
(マタイ6:8)

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それは無理だ、と初めからあきらめることをせず、求めてみましょう。

短いシンプルな祈りこそ、神が期待される率直な祈りなのです。

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Posted by wp2016_toko