今日のみ言葉【No.3683】(2025年 7月15日)「パリサイ人と取税人のたとえ話(3)」
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
(ルカ18:13)
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かつて体罰は「愛の鞭(むち)」として容認されていましたが、現在では児童虐待とみなされるようになりました。
当時最高と思われていたものが、今は最低として認識されている一つの例です。
パリサイ人の祈りも、当時の人たちにとっては最高の祈りでした。
そして、取税人の祈りは「最低」と見なされていたのです。
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取税人の祈りの様子を見てみましょう。
・遠く離れて立ち
これは、自分が神から離れているという自覚です。
・目を天にむけようともしないで
祈りの姿勢としては不合格です。
・胸を打ちながら
悲しみの表現です。
・罪人のわたしをおゆるしください
罪の意識を持っています。
当時の認識では、パリサイ人の祈りは合格で、取税人の祈りは失格です。
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教会に来ているあなたなら、
「何?取税人の祈りは不合格だって?」
「こんなにありのまま、自分の罪を告白して、神の前に正直に出ているのだから、素晴らしい祈りでしょう」
「こういう人を神様は愛されるのではないですか?」
と思われるかもしれません。
そう受け取ることができるのは、あなたが教会で、キリストの十字架による罪の赦しという福音のメッセージを聞いてきたからです。
しかし、この当時はそうではありませんでした。
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取税人はお金儲けが第一です。
しかし、神殿に来て祈っても、何のお金にもなりません。
ですから、彼が祈る姿を見た人々はこう思ったでしょう。
「あなたは何をしに神殿に来たのか?」
ところが、この取税人はお金儲けを放っておいて
「神様、罪人のわたしをおゆるしください」
(ルカ18:13)
と、胸をたたいて祈っています。
想像するに、相当心にショックな出来事があったのでしょう。
「私のこの生き方ではダメなんだ…」
そう思わざるを得ない状況に追い込まれ、神殿に来て、神の前に出るしかなかったのです。
さて、イエス様は、パリサイ人と取税人の二人の祈りを聞いて、どのような裁定を下されるでしょう。
以下、次回に続きます。
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「罪人のわたしをおゆるしください」という祈りを心にとめる今日として参りましょう。
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