今日のみ言葉【No.1658】(2017年12月 5日)「 救いを得る資格のある人たち(2)」
わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである。
(ローマ7:15)
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一流の人になるには「三流の人」にならなければなりません。
「三流の人」とは3つのものを流す人です。
(1)汗を流す
汗を流して努力することです。汗を流した分だけ上達します。
(2)涙を流す
どんなに汗を流して努力してもできない自分に涙することです。
そして、他者はどんどん進んでいくのに、自分だけが置き去りにされていくことに悔し涙を流すことです。
バカにされたり、自分の不甲斐無さを嘆く涙はあなたを必ず成長へと導きます。
(3)血を流す
これはあまりおすすめしません。なぜなら、この段階で「死」と面と向かうからです。
しかし、どうしても一流を目指したいと強く願う人は、自分の体から血が流れてゾッとする場面を通るものです。
命の限界ギリギリまでチャレンジする人が一流に到達しないはずがありません。
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しかし、その限界の先に到達することは不可能です。
人間は人間に定められた「分をわきまえる」ということが必要なのです。
聖書はこう語っています。
「わたしは自分のしていることが、わからない。なぜなら、わたしは自分の欲する事は行わず、かえって自分の憎む事をしているからである」
(ローマ7:15)
これは当時の一流人物たるパウロが、命がけで自分の限界に挑んだとき、最終的に出た言葉です。
どんなに善をしようとする意志があっても、それを妨げる「肉」の性質が人にはあり、神に反抗する「罪」が人の中に入っているので、汗を流しても、涙を流しても、そしてたとえ血を流しても、人は善を貫き通すことはできないと彼は語っています。
さらに、悪の力がこの世にはあります。
肉・罪・サタンという悪の三位一体は、人の善意を攻撃し、その脆さと無力さを明らかにするのです。
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しかし、このようなプロセスを通った人だけが真に「救いを得る資格のある人たち」となります。
汗を流し、涙を流すまでは行ったが、とても自分の命を失う「血を流す」まではできないと自分に絶望した人だけが救い主に希望を見出すことができるからです。
イエス・キリストは私たちのために血を流し、罪の代価を払って下さいました。
「これは、罪のゆるしを得させるようにと、多くの人のために流すわたしの契約の血である」
(マタイ26:28)
この福音(良き知らせ)にふれ、自分の力のみに頼らざるをえない人生からキリストに信頼を置く人生へと生き方の方向転換をしていく時に、私たちは神の意図した通りの人物へと変えられ、神が定義する「一流」へと成長していくのです。
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自分の力不足を嘆きながら努力するところまではさせていただきましょう。
しかしその先は「血を流す」犠牲をイエス様が払ってくださったと信じ、ゆだねることです。
神様のペースを受け入れ、今日の一歩を歩み出して行かれますように…。
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