今日のみ言葉【No.2716】(2022年 1月 8日)「死に対する権威(1)」

そののち、間もなく、ナインという町へおいでになったが、弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った。
(ルカ7:11)

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小説や映画には「伏線(ふくせん)」というものがあります。

物語の最初に、謎めいたものや何でもない風景を映し出し、その意味が後に回収され、なるほどと読者を唸(うな)らせるのです。

ルカ7章のやもめのひとり息子の蘇生の話では、ナインという町が伏線となり、

「だからそうなのか!」

と、わかった人が神を賛美する結果となります。

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ナインという町の名前は、聖書中ここ1箇所にしか出ていません。

地理的にはカペナウムの南西約30kmのところにあり、歴史的には栄えた時期もありましたが、イエス様時代になると、さびれた村となっていました。

しかし、この地域は旧約時代に預言者エリヤとエリシャが活躍した場所です。

人々がその言い伝えをよく覚えていたことはまず間違いないでしょう。

これが伏線となって最後に顔を出します。

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さて、

「そののち、間もなく、ナインという町へおいでになった」
(ルカ7:11)

ということは、百卒長のしもべが癒やされたすぐ後にイエス様一行はナインに移動されたということです。

「弟子たちや大ぜいの群衆も一緒に行った」
(ルカ7:11)

と書かれてあるのは、百卒長のしもべの癒やしを見聞きした群衆が、

「これは凄い。この人についていけば、どんな病も癒やされて、大丈夫人生を送れる!」

と思ったからであり、また、

「次はどんな奇跡を見せてくれるのだろう」

という野次馬根性もあったからでしょう。

容易に想像できることは、彼らが勢いのある集団だったであろうということです。

この命あふれる行列がナインの町の門に近づいた時、それとは対照的な死の行列が現れます。

弔いの人々です。

命と死の衝突が起きたのがこのシーンです。

さあ、この後、どうなるのでしょうか?

以下、次回に続きます。

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今日起こる何気ない出来事の中に、神は伏線を隠しておられ、後の日に賛美できるようにしておられます。

主の御手の現れる日を信じ、待ち望みつつ、今日の一日を味わって生きて参りましょう。

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