今日のみ言葉(2011年6月9日)【No.81】
「イエスは彼に言われた、『わたしは道であり、真理であり、命である。だれでもわたし
によらないでは、父のみもとに行くことはできない。』」
(ヨハネ14:6)
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大自然の美しさを通して、この世界を創造された神の存在を知ることができます。
確かに、暗いうちから出発し、山の頂上で見る「ご来光」には神々しさを感じます。
しかし、自然を通してわかるのは、せいぜい創造主なる神に限られます。
愛の神となると、
「ではあの地震や大津波は?多くの犠牲者を出して何が愛の神?」
という反論が山ほど出てきて答に窮します。
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愛の神に出会う道は、イエス・キリストを通してのみに限られます。
キリストの十字架は、人がどうあれ、神は人を愛するあまり、ご自分の愛するひとり子を
人間の罪の身代わりとして犠牲にされたということです。
自分の罪はキリストが代わりに負って下さったので、私たちは無罪となり、神の前に堂々
と出られるようになりました。
つまり、今まで切れていた親子関係が復活し、正しい関係に戻るのです。
これを信じて生きていくことを「救い」と言います。
キリストの十字架は歴史的事実であり、神の愛を示す動かぬ証拠です。
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クリスチャンの詩人、岡田汐子(おかだしおこ)さんの作品を紹介します。
さわやかな足音をたてて
時が走る
あの時から
身軽になったわたし
重かった涙のつぼを
だまってひきうけられた
キリストの傷ついた手を見た
その時から
人生をおそれなくなった
わたし
岡 田 汐 子
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イエス・キリストによって救いの道を見出すことができます。
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