今日のみ言葉【No.1864】(2018年10月24日)「 あなたがたを休ませてあげよう(1)」
すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。
(マタイ11:28)
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「あの人は頑固で困る」
頑固は短所だと思いがちですが、一度決めたら二度とは変えないという性質は、意志が強いということです。
物事には一枚の紙のように表と裏の両面があり、短所は裏を返せば長所となります。
「わがまま」ということもそうです。
何でも自分勝手にやって迷惑だ、と思いますが、それだけ自分のやりたいことをはっきりと持っており、しかもその思いを実行に移す力があるという長所でもあります。
ですから、強力なリーダーシップで混迷の時代を切り開いていく社長さんは皆「頑固でわがまま」な人ばかりです。
この両面を知っていることが健全な生活の鍵となります。
「重荷を負うて苦労している者」にも同じように両面があります。
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今日の聖句は、人生には様々な重荷があるが、それで苦労している人はキリストのもとに来る時に休みが与えられるという恵みの約束です。
この聖書箇所の重荷とは特に「律法の重荷」のことを指しています。
律法とはモーセの十戒に代表される旧約聖書の様々な規定です。
これらは神の御心ですから、一つとして余すところなく守らなければなりません。
しかし、守りたくても守れない弱さを持っているのが罪人たる人間です。
そこを
「お前は神の掟を守っていないぞ」
「何をやっているんだ」
と指摘されれば、律法はその人の生活を守る恵みから、その人の生活を縛る重荷へと変わります。
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この重荷は、いい加減な人やチャランポランな人は背負うことがありません。
「しょうがない。こんなんでいいだろう」
と、たとえ外から強制的に負わせられても自分から脱いで放っておくからです。
ところが、自分から重荷を探し歩き、人が捨てたものまでせっせと拾い上げて負う人がいます。
まじめな人たちです。
「あれもやっていない。これもできていない」
そうやって自分を打ちたたき、なんとしても神の律法を完璧にこなすよう努力します。
その努力は素晴らしいのですが、表面の美しさの陰にある裏の面にも気づかなければなりません。
そのまじめさゆえに生きることに重荷を感じる人たちは完璧主義者です。
0か100、白か黒、全然ダメかパーフェクトにやり切る、といった具合に考えます。
つまり、思い通りにやりたいというわがままな人たちだということです。
また、とことん追求するという長所を裏返せば、欲張りということです。
欲張りでわがままなゆえに、自分に対して
「それでいいんだよ」
とゆるしを与えられない人たち。
それがまじめだと思っていた自分の裏の面であるとわかったら、
「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう」
(マタイ11:28)
と招いていて下さるキリストの元へ行き、休みをいただくことです。
この休みは、不完全な、ありのままの、罪人の姿でなければもらうことができません。
まず休みを取って下さい。
あなたの重荷はその後に解決されます。
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重荷を感じていたら、すぐにイエス様のところへ行って休みをいただきましょう。
あなたの一日がゆるしで満ちあふれますように…。
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