今日のみ言葉【No.1847】(2018年 9月29日)「 神の祝福を受けるための訓練『お中元・お歳暮(2)』」
求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。すべて求める者は得、捜す者は見いだし、門をたたく者はあけてもらえるからである。
(マタイ7:7-8)
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現代の検索技術は凄まじい勢いで進歩しています。
試しにあなたのスマホで
「お中元何がいい?」
「バレンタインのチョコ、何がいい?」
と検索ボックスに入力してみて下さい。
ギフトのランキングや定番商品ベスト10等の結果が山ほど出てきて圧倒されるほどです。
その中から1位のものを選べば間違いないのでしょうが、それではあまりにも機械的で相手の気持を考えていないように思われます。
「あの人には何がいいだろう?」
そう考えることが相手に仕えることになるのです。
ギフト・ギビング・カルチャーの2番目は、仕えるということです。
これは神様が最も喜ばれることです。
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神は万事相働いて益となるようにしてくださると約束しておられます。
「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」
(ローマ8:28)
それは、この御言葉の直後に語られているように、私たちがキリストの姿に似るために行われているのです。
「神はあらかじめ知っておられる者たちを、更に御子のかたちに似たものとしようとして、あらかじめ定めて下さった」
(ローマ8:29)
神は私たちが「御子のかたちに似たもの」となるように、あらゆるものを用いて益となるようにしてくださることを覚えましょう。
では、神の御子キリストの似姿とはどのようなものでしょうか。
次の聖句がそれを表しています。
「人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」
(マルコ10:45)
イエス・キリストの地上生涯は「仕えるしもべ」としての生涯でした。
生まれてすぐに飼葉おけの中に寝かせられ、人々を愛し、その病や傷を癒し、最後には全人類の罪を背負うために十字架につけられ、命を捧げられました。
キリストのように人に仕えて生きようとする時、
「求めよ、そうすれば、与えられるであろう」
(マタイ7:7)
の約束が真の意味で成就します。
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お中元やお歳暮、さらにはバレンタインの義理チョコやお返しのホワイトデイなどという日本の文化の中で生きる時、これは他者に仕えるために神様が与えて下ったらチャンスであり練習問題なのだということを感じます。
商売感覚やお付き合いというものとしてでなく、何がこの人のために最高なのかと考える良い機会となるのです。
そうやって人にお仕えして生きようとする時、
「天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか」
(マタイ7:11)
という御言葉の実際を肌身にしみて実感することができます。
たとえば、祈っていると、
「あ、そうだ、あの人は糖尿病だとこの間はじめて話してくれたっけ」
と気づかされた時がありました。
早速、甘いお菓子でなく、カロリーゼロのこんにゃくセットやお蕎麦に変更した思い出があります。
また、「あの人のためには何がいいか」という心配りをしていると、普段から人の必要に敏感になっている自分に気づきます。
逆に定番商品を選んでばかりいると、心はますます鈍感になっていたことでしょう。
こうやって神様は私たちの心を「仕えるしもべ」の心へと変化させて下さり、神の愛の器として用いられるよう、あらゆる機会を与えて下さるのです。
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求めたら与えられます。
人に仕えるために求める時、さらに神の御心が知らされます。
神が与える良きものを、他者に仕えるために用いる今日として参りましょう。
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