今日のみ言葉【No.1444】(2016年12月24日) 055 「クレネ人シモン」(3)
彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。
(ルカ23:26)
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クレネ人シモンはローマ兵から無理やり十字架を担わされましたが、はからずもその負い方は理想的な形になりました。
彼はイエス様の前ではなく、後ろについて歩かされました。
「彼らがイエスをひいてゆく途中、シモンというクレネ人が郊外から出てきたのを捕えて十字架を負わせ、それをになってイエスのあとから行かせた。」
(ルカ23:26)
それはイエス様が弟子たちに命じた言葉と同じ姿になりました。
「だれでもわたしについてきたいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負うて、わたしに従ってきなさい。」
(マタイ16:24)
イエス様の血だらけの背中を見ながら、シモンは十字架を取り、従って行ったのです。
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シモンにとっては、邪魔、屈辱、不幸というマイナスに思える出来事でしたが、キリストとの関係で十字架を担わされたことは祝福、名誉、感謝に変えられていきました。
このような形でしたが、イエス・キリストとの出会いが与えられ、彼は後にクリスチャンとなり、教会の指導者として重要な働きをしたようです。
その一つの事実として使徒13章1節が参考になります。
「さて、アンテオケにある教会には、バルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、クレネ人ルキオ、領主ヘロデの乳兄弟マナエン、およびサウロなどの預言者や教師がいた。」
(使徒13:1)
ここにアンテオケ教会の5人の指導者の名前が書かれてあります。
その中に「ニゲルと呼ばれるシメオン」なる人物がいます。
ニゲルとはラテン語の「黒(Negero ニグロ)」を表します。つまりアフリカ出身の黒人ということです。
シメオンとはシモンのユダヤ名です。
歴史上の資料としては確定的ではありませんが、「クレネ人シモン」と「ニゲルと呼ばれるシメオン」は同一人物の可能性があります。
そうであるとすれば、はるばる1500km、北アフリカのクレネ(今のリビア東部)から真の神を礼拝しようとしてやってきたシモンは、まさにその出会いを果たし、自分が計画していた以上の人生を送ったことになります。
このように、イエス・キリストは、私たちそれぞれの人生の途上で、ご自身と出会う機会を必ず与えておられます。
ローマ兵が、たくさん群衆がいる中から、よりによってシモンに目をとめ引き出したように、神様のご計画は私たちの上に備えられています。
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脳出血で倒れられたIさんは、左半身麻痺の症状が出ましが、必死の努力でリハビリをし、職場復帰まであと一息のところまで機能が回復しました。
ところが、今まで感じなかった左手、左足に強烈な痛みを感じるようになりました。
「まさか再発…?」
すぐお医者さんに報告すると、
「それは神経が回復しているから出る痛みです。良い傾向です」
という回答が帰って来ました。
今までも痛みはあったはずなのですが、神経が失われていたのでそれを感じず、痛みを感じなかった分、リハビリがうまく進んでいたのです。
しかし今や激痛を感じます。
彼は祈りました。
「神様、どうしてですか?あと一歩なのに、あなたはなぜ止められるのですか?」
祈りの中で神様がIさんに示したことは
「このままうまく進んで元の機能が回復したら、あなたは以前の状態と同じことをしてしまうだろう」
ということでした。
彼は、この痛みは神様がつけてくださったブレーキだと悟りました。
その後、無事職場復帰を果たしたIさんは、決して無理をしません。
痛みが出るということは、どこかで自分の限界を超えたということを表し、それは自分を引き止める神様からの愛のブレーキだと受け入れたからです。
自分を謙遜にさせてくれる神からの痛み。
Iさんは謙遜に満ちた人生を送っておられます。
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イエス・キリストは、あなたに出会うチャンスを作ってくださるお方です。
それは時に痛みを伴いますが、その先にあるものは神の豊かな富を味わう人生です。
神が用意された祝福の人生を歩まれますように…。
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