今日のみ言葉【No.1348】(2016年 8月 6日) 022 「会堂司ヤイロ」(2)
しかしイエスはこれを聞いて会堂司にむかって言われた、「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」。
(ルカ8:50)
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イエス様はヤイロの家に向かわれました。
会堂司ヤイロと弟子たちと、そして大群衆がそれに続きます。
その中に長血を患った女がいて、イエス様の衣の裾にでも触れれば癒されると信じて、本当にその通りになりました。
するとイエス様はそのことをキャッチなさいました。
「だれかがわたしにさわった。力がわたしから出て行ったのを感じたのだ」
(ルカ8:46)
そして、それ程までに強い信仰を持った者との出会いを求めて、
「イエスはさわった者を見つけようとして、見まわしておられた。」
(マルコ5:32)
とあるように、立ち止まり、取り巻きの大群衆も歩みを止めてしまいました。
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ヤイロは気が気ではありません。
一刻も早く娘をイエス様に会わせなければ死んでしまいます。
長血の女の癒しの出来事は喜ばしいことでしたが、ヤイロにとっては余計な出来事でした。
そして、恐れていたことが起きました。
悲報がもたらされたのです。
「お嬢さんはなくなられました。この上、先生を煩わすには及びません」
(ルカ8:49)
もはや癒しは必要なし。
死んでしまったのだから、イエス様がいてもいなくても、来ても来られなくても全く関係なし。
時間切れです。
わずかな希望も消え失せてしまいました。
死でもって全ては終了、と、ヤイロもその家族も思っていました。
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しかしイエス様は使いの者の言葉を「聞き流して」、彼にこう言われました。
「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」
(ルカ5:50)
命の主であり、救い主であるイエス様にヤイロが出会った瞬間です。
霊の世界では最悪と最善は背中合わせ。
最悪の次の瞬間に最善の喜びが控えています。
その最善を選び取るためには、現実の最悪の出来事の向こうにそれがあると信じる信仰が必要です。
私たちの理性はそれを阻害します。
ですから、もう自分の力ではどうしようもないところに追い込まれた時が、一番この信仰の世界に飛び込みやすいのです。
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ヤイロが信仰告白をしたという直接の記事はありませんが、確かに彼の心はイエス様を信頼する心に変わりました。
それは次の個所から伺い知ることがます。
「それから家にはいられるとき、ペテロ、ヨハネ、ヤコブおよびその子の父母のほかは、だれも一緒にはいって来ることをお許しにならなかった。」
(ルカ8:51)
イエス様の言葉を信じずに、死という現実だけを見、それが全てだと思っていた人たちは、たとえ弟子であっても近親の者であっても、家の中に入れてもらえなかったのです。
「ペテロ、ヨハネ、ヤコブおよびその子の父母」
(ルカ8:51)
とあるように、弟子の中でも3名だけ、そしてヤイロとその妻だけが
「恐れることはない。ただ信じなさい。娘は助かるのだ」
(ルカ5:50)
とのイエス様の言葉を信じ、その言葉にすがりつき、そして奇跡を目にする結果となるのです。
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恐れず、信じる今日として参りましょう。
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