今日のみ言葉【特選メールNo.42】(2020年 5月24日)「翻って生きる」
あなたがたがイスラエルの地について、このことわざを用い、「父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく」というのはどんなわけか。主なる神は言われる、わたしは生きている、あなたがたは再びイスラエルでこのことわざを用いることはない。
(エゼキエル18:2-3)
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認知症の中核症状に「失行」というものがあります。
ズボンが履けなくなるとか、ハサミの使い方がわからなくなるとか、今までの生活で身につけていた動作ができなくなるのです。
ところが、当の本人はそれを
「ああ、私は認知症になったのだ」
とは考えません。
たとえば電子レンジの使い方がわからなくなって動かせなくなると、
「壊れた」
と考えます。そして使わなくなります。
自分の具合が悪いからだと考えると不安が増すので、自分以外のせいにして心を守ろうとするのです。
自分のせいにせず他者に責任転嫁する性質は、アダムとエバ以来の人間の固有の性質です。
バビロン捕囚時代のイスラエルもそのように考えました。
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彼らの考え方はこうでした。
「われわれの先祖は罪を犯して、すでに世になく、われわれはその不義の責めを負っている」
(哀歌5:7)
つまり、自分たちがバビロン捕囚の憂き目にあっているのは我々のせいではない。先祖の罪に対する刑罰だ、という考え方です。
それが
「父たちが、酢いぶどうを食べたので子供たちの歯がうく」
(エゼキエル18:2)
ということわざの意味です。
エゼキエルはこの考え方に真っ向から反論しました。
人は他人の罪の重荷を負うのではなく、自分の罪の重荷を負うのです。
与えられた環境はどうあれ、私は私の責任を負うと決断し、方向転換する時、神の御言葉がその人の心にスッと入ってくるのです。
「わたしは何人との死をも喜ばないのであると、主なる神は言われる。それゆえ、あなたがたは翻って生きよ」
(エゼキエル18:32)
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O兄の人生は生まれた時からマイナスのスタートでした。
貧しい家庭、酒乱の父、早く亡くなったお母さん…。
彼が中学高校時代と暴れまくったのもうなづけます。
たった一つの光はクリスチャンのおばあちゃんの熱い祈りでした。
やがて彼の人生にもそのおばあちゃんの祈りが聞かれる時がきました。
「いつまでもこうしてはいられない」
何故かそう思えるようになった彼は、その後、何段階も
「なんで俺が…」
と思う階段を登らされました。
彼の生い立ちなら文句が出て当然の状況で、一つ一つ、神に明け渡しを迫られたのです。
そこで父母や人のせいにせず、生まれ落ちた環境を呪わず、自分がやったこと、自分の言動の結果にのみ目を止め、そこでの悔い改めを果たしたのです。
今までの人生観から言えば、それは彼にとって負けを認めることでした。
苦しい体験でしたが、彼は神に降参し、自分を神に明け渡し続けました。
O兄はその後、あれほど学校の先生に文句を言っていたのに、不思議な導きで高校の先生となりました。
そして学校で文句を言う生徒たちの意見を心から聞く先生として活躍しています。
翻って生きる人生を神は祝福されるのです。
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あなたの責任のみに目を向け、その責任を神の前で果たすことに集中する一日として参りましょう。
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