今日のみ言葉【元旦特別号】(2019年 1月 1日)「成長させて下さる神」

だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである。
(第1コリント3:7)


あけましておめでとうございます。新サイトにリニューアルして最初の御言葉メールです。今年もどうぞご愛読下さい。

漬物名人と言われるおばあちゃんに梅干し作りの秘訣は何かと尋ねたことがあります。

すると

「何もやってないよ」

というお返事。

これは名人・達人と言われる方々が必ず使う定型文なので、そんな答で納得しないで

「では、今日は何をなさいましたか?」

と更に質問したところ、

「そうだな~、今日な~、そういえば…」

と言った後に出た言葉に驚嘆しました。

やっぱり名人はやることが違います。

特別なことを当たり前にしていることがその秘訣です。

(答は最後に書いておきます)

さて、漬物名人とは違って、コリント教会に集う人たちはまだ未熟なクリスチャンでした。

ですから、あれこれと世話をしてくれ、自分のことを心にかけてくれる人を彼らは好みました。

「すなわち、ある人は『わたしはパウロに』と言い、ほかの人は『わたしはアポロに』と言っているようでは、あなたがたは普通の人間ではないか」
(第1コリント3:4)

これを聖書は「肉の人」(3節)と表現しています。

教会内にこの根がはびこると、分裂・分派の原因となります。

パウロはこの事態を放っておけませんでした。

今日の聖句に

「だから、植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない。大事なのは、成長させて下さる神のみである」
(第1コリント3:7)

とある背後の事情とはこういうものでした。

成長させて下さる神の力が最も大事だということをパウロは強調しているのです。

ただし、「取るに足りない」と表現されている人間の努力を全く無視していいというわけではありません。

「わたしは植え、アポロは水をそそいだ」
(第1コリント3:6)

と書かれている背後に、どれだけの伝道者パウロの苦労があったかは計り知れません。

また、後任の教育者として働いたアポロの労苦も並大抵のものではなかったはずです。

彼らの働きなくしてコリント教会が成長することはあり得ません。

しかし、それらが全くかすんでしまうほど、神の力が大きいということなのです。

ちょうどそれは夜輝く電灯のようなものです。

何と明るく素晴らしいと思いますが、朝になって太陽が昇ると、電灯がついていてもいなくても関係なくなります。

そのように、神が世界を輝かせる力、つまり、成長させて下さる神の力の前に人間の努力など取るに足りないくらいだ、と表現されているのです。

パウロとアポロの労苦同様、あなたの働きも必要なのです。

しかしその働きを誇ることなく、本質は神の力によってなされ、私はそのほんの一部の手助けをさせていただいたのだ、という意識が健全な教会の成長を進めるのです。

先ほどの漬物名人のおばあちゃんの答に戻ります。

「そうだな~、今日な~、そういえば…」

の次に何と言ったかというと、

「瓶(かめ)から梅を出して陽に当てたなあ」

とおっしゃいます。

それも1日3回、梅の実にまんべんなく日光が当たるように向きを変える作業をするのだそうです。

「そういえば、夜露に当てることもあるなあ」

やっぱり相当の手間暇をかけているではないかと私が驚いていると、

「そんなことは、誰でもやっているでしょう」

とサラリとおっしゃいます。

「いえいえ、そんなことはないです。やっていらっしゃるのはあなただけです」

と言う私に対して、

「そうかな~、そんなの当たり前だものだ~、あんたから言われるまで気づかなかった」

とおっしゃいます。

特別のことを当たり前としてやっている人が、

「植える者も水をそそぐ者も、ともに取るに足りない」

と言うことができるのです。

しかし、梅干しが日光によって殺菌され、味がやわらかになるのは人間の働きではできません。

その本質的部分は神の力によってなされるのです。

人間はその神のわざが進むようにお手伝いを一生懸命、全力でもってさせていただく存在なのです。

そこに自分の存在の意義が明らかにされ、生きる歓びが湧いてくるのです。

神の力を崇めながら、今日、自分ができることを当たり前にする。

この繰り返しの1年として参りましょう。


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